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最高裁判所第三小法廷 昭和27年(あ)597号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人高橋禎一の上告趣意(後記)について。

同第一点について。

所論は、事実誤認の主張に外ならないから、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。(なお所論は詳細にわたり原判決の事実誤認を主張し、被告人の無罪たることを強調するのであるが、記録により原判決の判示説明と挙示の証拠とを照合し調査してみると、原審の認定に到達することが不当であるとはいえない。)

同第二点について。

所論は、法令違反の主張であって刑訴四〇五条の上告理由に当らない。なお論旨一に述べる証拠だけについていえば、所論のように本件詐欺の事実を認定する証拠としては関係のないものといえるとしても、原判決挙示の他の証拠で認めることができる以上、右の一事によって原判決を破棄すべき事由と認めることはできない。また論旨二は原審が自ら事実の取り調をなさず単に書面審理によって第一審の無罪の判決を覆し有罪の認定をしたことを非難するが、刑訴四〇〇条但書の解釈として、控訴裁判所は訴訟記録及び第一審で取り調べた証拠のみによって直ちに判決することができると認める場合でも、常に新たな証拠を取り調べた上でなければいわゆる破棄自判ができないものではないとするのが当裁判所の判例の示すところである(後記弁護人伊能幹一同小林直人上告趣意第三点の項に掲げた判例参照)。従って原審が書面のみによって事案を審理し自ら判決をしたからといって違法であるとはいえない。

弁護人伊能幹一同小林直人の上告趣意(後記)について。

同第一点及び第二点について。

所論第一点は憲法三一条違反を主張するが、帰するところ事実誤認の主張に過ぎないから、刑訴四〇五条の上告理由と認められない(論旨指摘のように、原判決の事実認定において、被告人が「虚偽領収書一通の交付を受け」た点につき、事実としていかなる関係に立つかの具体的な説明がないため、所論のような非難を生ずることは否めないが、それだからといって直ちに論旨主張のような結論となるものとは認められない)。次に所論第二点は原判決の審理不尽理由不備を主張するのであって法令違反の主張に帰し、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。また原判決を破棄しなければ著しく正義に反する事由も認められない。

同第三点について。

所論は、原判決は証拠調を経ていない証拠を罪証に供した違法があるとして、最高裁判所の判例に違反すると主張するのであるが、所論引用の判例はいずれも旧刑訴法に関するものであって、新刑訴四〇〇条但書又は同三九四条の関係における本件に適切でない。従って所論判例違反の主張は理由がない。そして所論は刑訴三九四条四〇四条の関係において、控訴審が破棄自判する場合刑訴三九四条にいわゆる「第一審において証拠とすることができた証拠」のうちには少くとも第一審において取り調べた証人の証言を記載した公判調書は含まれないから、控訴審は直接独自の証人調をしないでこれを認定の資料として採用することはできないという趣旨の主張をするが、かかる第一審の公判調書も第一審において証拠とすることができた限り、もとより控訴審においてもそのまま証拠とすることができるのであって、これを反対に解すべき刑訴法の規定は認められない。論旨は刑訴三九四条は当該証拠が控訴審においても証拠能力を有することを宣明したに止まり、証拠調の手続を免除したものでないと主張するが、それは独自の見解であって採用することができない。のみならず高橋弁護人上告趣意第二点について述べたように、控訴審が刑訴四〇〇条但書によって破棄自判する場合、新たに事実の取調ないし証拠調をしないで第一審において取り調べた証拠のみによってこれを行っても違法でないとするのは当裁判所の判例とするところである(論旨第四点引用当裁判所昭和二五年四月二〇日第一小法廷判決、同年一二月二四日第三小法廷判決、昭和二六年一月一九日第二小法廷判決参照)。論旨はこの点においても理由がない。

同第四点について。

所論は原審が直接事実の取り調をしないで破棄自判したのは職権濫用であるという理由をもって、憲法一三条違反を主張するのである。しかし刑訴四〇〇条但書の趣旨は第三点について説明したとおりであるから、原審の手続に違法はなく、所論違憲の主張は前提を欠くことに帰し適法な上告理由と認められない。

同第五点について。

所論は事実誤認の主張であって刑訴四〇五条の上告理由と認められない。

よって刑訴四〇八条により主文のとおり判決する。

以上は裁判官小林俊三の少数意見を除く裁判官全員一致の意見である。

裁判官小林俊三の少数意見及びこれに対する裁判官井上登の意見は次のとおりである。

裁判官小林俊三の少数意見。

弁護人高橋禎一上告趣意第二点の二、弁護人伊能幹一同小林直人上告趣意第三点第四点について。

本件は原判決を破棄しこれを広島高等裁判所に差戻すべきものと考える。

結論をいえば、本件のように第一審の無罪の判決に対し検察官より控訴があった場合、控訴審が有罪と認めるときは、原則として破棄差戻の判決をなすべきであり、また破棄自判によって有罪の判決を言渡すためには、直接自から事実の取調を行った後でなければこれをなすことを許されないと考える。(控訴審において第一審の執行猶予を実刑に改め、又は他の刑を死刑に変更するような場合も、これに準じて考えられるが、本件はこの場合に当らないから、その理由を加えない。)

(一)、本件において原審は、第一審が無罪とした詐欺の部分を破棄し被告人を懲役八月に処したのであるが、その手続はすべていわゆる書面審理のみをもって終始し、第一審が結局無罪の認定に達したすべての証拠を、反対に有罪の証拠とするに当り、単に書面又はその記載のみの判断によったのであって、かかる手続は原審においてはじめて有罪の認定をする審判として違法たるを免れないと信ずる。原判決の挙示する証拠は、書証として領収書謄本と租税払戻請求書謄本、その他は被告人の第一審公判調書における供述記載の一部、及び福島豊以下五名の証人の公判調書の供述記載であるが、原審はこれらすべての証拠について、改めて自から被告人(多くの場合弁護人を含む、以下同じ)の意見弁解を聴いた形跡なく、従って右被告人の第一審の供述調書の記載についても被告人にいかなる弁解があるかを述べる機会を与えず、また五名の証人についても、控訴審が第一審の供述調書のみの判断により生じた有罪の疑いについて、改めて被告人の意見弁解を聴くことすらなく、直接これを取り調べた第一審と反対の心証を形成し、すべて書面上の理解により直ちに有罪の証拠とする確定的な価値判断を与えたのである。かかる手続を是認することは単に刑訴法上の文理に根拠を置く消極的な理由と、控訴審が事後審であるということにいわれなく執着するものであって、刑事訴訟における有罪判決とその審判との本質的な関係についてなんら考慮を払わないものであると考える。

(二)、一般にいって、刑事の審判方式が現在の形をとるに至るまでに、時代と国によって多少の差はあろうけれども、はじめからその中心となって貫かれている部分は、裁判官が被告人を直接口頭で取り調べその弁解を聴き、最後に有罪無罪を定めることであるといっていいであろう。そしてこの中心たる線に副って生じた諸原則、すなわち公開主義、直接口頭審理主義又は証拠裁判主義等は、人権思想の向上に伴って確立するに至ったのであるから、これらの原則は主として被告人に即して考察しなければならないのである。ところで現在のわが刑訴法は当事者主義を大幅に拡張した結果、被告人の防御権が著しく拡張され、また他方にもっぱら客観的な証拠によって事実を認定しようとする主義をさらに深くとり入れるに至ったから、以前にもましてこれらの原則は尊重されなければならないのであり、特に直接口頭審理主義と証拠裁判主義は、被告人がその防御権を行使する最少限度の手掛りとして純粋に貫かれなければならないのである。しかるにこれらの原則は何を目的として行われるかといえば、いうまでもなく唯一に被告人の有罪か無罪を定めるためである(わが刑訴では有罪の判決は常に処断刑を伴って言い渡されるが理において変りはない)。この最終目的をほかにして、これらの原則それ自体に独立の目的があるわけではない。従って刑事審判の生命ともいうべき有罪か無罪かを定めること自体に関するかぎり、これらの原則は最後まで貫いて行われなければならないという理由が当然出て来るのである。ところが第一審の無罪判決に対し検察官より控訴が提起され、その控訴審が、破棄自判によって有罪判決をする場合は、とりもなおさず控訴審が有罪か無罪かを定める審判を行うことにほかならないのであるが、それにもかかわらず控訴審なるが故に、被告人の防御権の基本的な保障である前記原則が行われないとか、或はその例外であるとしなければならないような有力格段の理由は全く認めることはできない。

(三)、この関係において先ず考えなければならないのは、かかる場合は、控訴審が結局公訴事実そのものを自から認定することに帰するのであって、いいかえれば控訴審ではじめて罪となるべき事実すなわち犯罪構成要件を具備する事実を証拠によって認定するということである。従って厳格な証明を必要とするのであるが、仮りに第一審で取り調べた証拠が手続上適法であり、証拠能力において欠けるところがないとしても、その証明力に対する価値判断は、第二審の裁判官の全く自由に定め得るところであり、また人間として異なる以上、その判断が第一審と異なることのあるのは当然であって、審級の意義もここにあるのである。してみれば本件のように証拠の証明力について、第一審で一たん無に帰した証拠が、控訴審で逆に有罪の証明力を認められることとなる関係においては、被告人は控訴審ではじめて公訴事実すなわち罪となるべき事実を認定されるのであるから、控訴審として改めてこれらの証拠につき少くとも被告人の意見弁解を聴き本来の防御方法を行う機会を与えなければ、刑訴のもっとも重要な原則が被告人に行われない審判があることを認めることとなり、その不当なるこというをまたないのである。

(四)、これを別な面から本件について考えてみると、原判決の挙示する証拠は、第一審の裁判官にとって有罪の証明力を生じなかったのであるから、これらの証拠は控訴が提起されたときは、単に第一審において適法に証拠調が行われたという手続上の価値が成立しているだけで、控訴審の裁判官にとっては、その証明力は全く白紙の状態にあったわけである。従って控訴審の裁判官がこれらの証拠を新たに有罪の証拠と判断する過程は、証明力に関するかぎり、控訴審の裁判官が独自の新しい審判を行う道に入るのであって、いいかえれば単に第一審の判決の当否を調査するだけで終ることのできない段階に入るのであり、いわばこの部分からは独自の創造的形成を行うといってもいいのである。もっとも控訴審の事後審としての調査の範囲は、第一審判決の当否を判断するに必要な限度に止まることを原則とし、その手続は狭義の調査をもって足りる場合も多いのであるが、ひとたび調査の結果新たに有罪の疑を生じその方向に進むときは、いわゆる審査の軌道を進みながら単なる審査を超える段階に入るのであって、この段階における被告人の地位はほとんど第一審とかわらないと見なければならない。それゆえこの段階に入ったかぎり、控訴審が自ら公訴事実を認定し判決にまで進むのは、控訴審本来の性格に適合しないのであって、第一審に差戻すのが正しいのであり、またもし破棄自判に熟する場合があれば、控訴審は自ら直接事実の取調を行うことによって被告人を本来の防御権を行使し得る地位に置かなければ、結局被告人は控訴審であるというだけでいわれなく刑訴の本旨とする保護を与えられないこととなるのである。(昭和二五年(あ)第六四一号同二七年二月六日大法廷判決の小林補足意見参照、集六巻二号一四一頁。)

(五)、この理は更新という手続と比べてみるとなお明らかである。開廷後裁判官がかわったときは、公判手続を更新しなければならないという刑訴の規定(刑訴三一五条三一五条の二)は、直接審理主義を徹底するための重要な意義に立脚することは異論がないであろう。これを第一審に即して考えてみると、裁判官がかわったときは、事実の審理をやり直すことによって、はじめて直接審理の要請に応える判決をすることができるというのが更新の本旨であるから、過去において訴訟経済上の見地から、訴訟関係人の同意によってきわめて形式的な簡便手続が行われていたけれども、この便宜的慣行が更新本来の趣旨に正確に適合するものでないことはもちろんである。そしてまた刑訴規則が後に規定を追加し、被告人又は訴訟関係人に異議のないこと、又は同意あることを条件として、ある省略手続を明文をもって認めたのは、訴訟経済上の見地から無益なくりかえしを避けると共に、ともすれば意味のない形式に流れることを止めようとする趣旨をもっていると解すべきである。(昭和二六年一一月二〇日改正刑訴規則二一三条の二第一号但書、第四号)。しかるにこの刑訴規則はさらに明文をもって、更新前の公判期日における被告人若しくは被告人以外の者の供述調書又はその他の証拠は職権で取り調べなければならないとし、もし特定の理由により取り調べない場合は、訴訟関係人に異議のないことを条件としているのみならず、またこれらの証拠(特に供述調書も単に書面として)を取り調べた後、さらにこれらについて訴訟関係人の意見及び弁解を聴かなければならないと定めている。(同条第三号本文及び但書、第五号、なお第二号参照)。この趣旨は、供述調書についていえば、証拠として適法ではあるが、かわった裁判官が直接調べたものではないから、特に訴訟関係人の意見及び弁解を聴いて、要すれば再び尋問する機会をも与えようとする考慮を含んでいるものと考える。そしてこのような趣旨は、はじめから更新ということに含まれる意義であって、刑訴規則はこれを明らかにしたに過ぎないと解すべきである。すなわちこの更新の意義から推して考えてみても、控訴審は第一審と全く異なる裁判所であるから、第一審無罪の控訴事件につき第一審で取り調べた書証と供述調書のみによって有罪と認める場合は、原則として破棄差戻の判決をなすべきであり、またもし破棄自判によって有罪の判決をする場合には、その前提として少くとも被告人の意見弁解を聴き然る後の判断によらなければならないという結論に到達せざるを得ないのである。そしてかくすることが被告人に対し欠くことのできない必要な手続であることは自からまた明らかであろう。

(六)、原判決は他の証拠と共に五名の証人の供述調書を改めて有罪の証拠の中に挙げているから、この関係についてさらに考えてみると、これらの証人は第一審の裁判官が直接その顔を見その声を聴いて判断した後有罪の証拠とするに足りないという結論に達したのであるが、かかる場合控訴審の裁判官が、仮りに証人の供述調書のみの判断によって第一審判決の当否を審査するとすれば、それだけで第一審と反対に有罪の心証を生ずることもあろうし、まして仮りにこれらの証人を再び自ら取り調べることによって第一審と反対の心証を形成することももちろんその自由とするところである。しかしながら控訴審の裁判官が、直接自ら取り調べなかった証人の供述調書のみによって、少くとも被告人の意見弁解を聴くこともなしに、常に当然に有罪の判決までなし得ると解すると、被告人は何の機会も与えられない間に、それらの証人の供述が書面の記載だけで第一審と逆に有罪の証拠となるという危険にさらされるわけであって、被告人はかかる場合の控訴審においてのみ特に著しく不安な地位におかれるという不当な結果が生ずるのである。本来控訴審の裁判官が証人の供述調書のみによって有罪の心証を生じても、それは単に書面の上から生じた未確定の疑いと見るのを相当とし、これを判決の基礎となる証拠とするには、さらに事実の取調を行い少くとも被告人の意見弁解を聴き防御の機会を与え、然る後にその心証を確実に形成することが、前に述べた刑事審判の諸原則に副うゆえんであって、このことは、かかる控訴審が刑事審判の最終の目的である有罪無罪を定める段階となったということから出て来る当然の帰結であると考える。反対の解説は、かかる証人に対する関係において、第一審と第二審とは、直接と間接という根本的な条件の差があり、且つ第二審ではじめてこれらの証人の供述を有罪の証拠とするという事実上の大きな差異を無視するものであって、恰かも第一審と第二審とその裁判官の判断能力に格段の差のあることを前提とするような不当な結果となるのを否定し得ないであろう。(なおこれらの関係は、他の書証や被告人の供述についても右に準じていえることである。)

(七)、刑訴四〇〇条但書の趣旨について、最高裁判所小法廷の判例のいくつかは、控訴審が破棄自判する場合は、訴訟記録並びに原裁判所において取り調べた証拠で直ちに判決することができることをもって足り、必しも常に控訴裁判所において事実の取調をすることを要しないという解釈を採っている。この解釈は一般的な趣旨として一応是認できる。しかし控訴審で第一審無罪の判決を覆えし、有罪の破棄自判をする場合をもこの中に含めることは到底賛同することはできない。このような場合は、以上に述べた理由により、常に必ず事実の取調を行い要すれば証拠調にも進まなければならないと解するのが正しいと考える。

以上の理由により、各弁護人上告趣意の前掲論旨中、前述の理由に副う部分は結局その理由あることとなるから、原判決を破棄しこれを原審に差し戻すを相当とするのである。

裁判官井上登の意見。

私は当、不当の問題としては小林裁判官の意見に全面的に賛成である。二審が書面審理だけで、一審で信じた証拠を信ぜず、又は一審が信じなかった証拠を信じて、一審と反対の裁判をするが如きは全くよくないやり方である。事実審は決してかようなやり方をすべきものでないと思う。私は控訴審の裁判長をして居た時、一審の記録を見て、どうも一審の認定が怪しいと思った時は必ず直接証拠調をやって見た。そうするとその結果やはり一審の認定でいいのだと思ったことが間々あったのである。しかし今の刑訴法では、二審が書面審理だけで一審と反対の裁判をすることを禁ずる趣旨は出て来ないと思われる。即これを違法とする適確の根拠はないように思われるのである。それ故既に当裁判所の判例もあることであるからそれに従って居るのである。又論理的にいえば、右の如き裁判を違法とするならば、一審で有罪としたのを書面審理で無罪とすることも違法となるべく、又刑の量定についても同じことがいえるであろう。しかしそう迄云わなくてもいいのではあるまいか。なお又実際においても、書面だけで一審裁判を覆しても差支ない場合がないではない。例えば一審が実験則上到底許されない認定をして居る場合(例、犯罪の行われた日が暦上月のない日であることが明であるのに「月明でよく先方が見えた」という意味の証言を採りこれを基礎として判決をした場合の如き)の如きは書面だけで反対の裁判が出来る場合も有り得るのではなかろうか。あれやこれやで違法と迄はいい切れずに居るわけである。(只所謂デュー・プロセスの問題としてなおよく考えたいと思って居る。)

(裁判長裁判官 井上 登 裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎)

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